音声配信は、私にとってコンサル脳の筋トレでした
2026/09/02この3ヶ月、音声配信にせっせと取り組んでいます。

きっかけは、5月下旬。五十嵐花凛さんが音声配信の本を出版されたこと。
読んでみたら「これは可能性あるやん」と素直に思ってしまって、とにかくコツコツ始めてみました。
今は音声配信を「最初のアウトプットの場」に置いて、そこで話した内容をブログに転換したり、インスタに転換したり。
しゃべったものが、あちこちに枝分かれしていく感じです。
3ヶ月続けてみて、自分の中に起きた変化を書いておきたいと思います。
日常が、まるごと「ネタ探し」になる
まず、アンテナが研ぎ澄まされました。
毎日話すようになると、日常生活がそのまま配信のネタ探しになります。
私は「日常の中のビジネスのヒント」を切り口にしているので、何を見ても職業病が発動します。
この売り方うまいなぁ、とか。
ここまでやると価格が3倍になってもみんな喜んで買うんやなぁ、とか。
価格設定、プロモーション、意味づけ、ストーリーの作り方。前より確実に、深く見るようになりました。
そして「これ、配信で話そう」と思った瞬間、自分の中で言語化が始まります。
ついでに背景も調べる。といっても、ほんのひと手間なんですけどね。
この前は、動画撮影に使っているカメラの話をしました。
DJIという会社です。私たちにはジンバルやポケットカメラでおなじみですが、実はドローンの会社。
しかも学生起業から始まって、今や世界シェアの大半を握っている。
DJIの話をする時に、DJIについてちょっと検索してみる。
すると、それが自分の引き出しになる。話すために調べたことが、そのまま資産になっていく。
「なんで売れてるんやろ」を、一段深く
今までなら「これ売れてるよね」「これ美味しいよね」で終わっていたところを、なんで売れてるんやろ、と一段深く考えるようになりました。
創業者が大切にしていることは何やろ、とホームページまで見に行ったりして。
これがね、コンサル業をやっている私にとってトレーニングになるんです。
音声配信は、私にとってのコンサルの筋トレ。
脳の筋トレ。毎日の配信が、勝手に鍛えてくれている。
しかも「がんばって鍛えるぞ」ではなく、習慣として日常に溶け込んだ状態で。
これがいちばんありがたいところかもしれません。
発信も省エネになった
音声配信をベースに展開する形にしたら、発信活動そのものがかなり効率化しました。
まずしゃべる。文字起こしする。ブログに転換する。インスタに転換する。
今まで1時間かかっていた仕事が、30分でできるようになった感覚です。
発信を「増やす」ために始めたのに、結果として「時短」になっている。この誤算はうれしい誤算でした。
続けられたのは、聞いてくれる人がいたから
もうひとつ大きかったのが、6月の五十嵐花凛さん出版記念講演会に足を運んだこと。

そこで、音声配信を日常的にやっている方々とたくさんつながることができました。
花凛さんのコミュニティがきっかけです。聞いてくださる人がいるから、続けられる。
届ける相手の顔がイメージできるから、「今日はちょっと面白い話をしよう」「少しでも役に立てたらいいな」と思える。
それが次の配信のモチベーションになる。
本を一冊買った、というだけの小さな行動が、めぐりめぐって自分のコンサル能力を高めるところまで連れて行ってくれた。
行動って、ほんとうに何がどこにつながるかわからないものですね。
そして気づいた、自分の「好き」
3ヶ月しゃべり続けて、いちばん意外だった発見はこれです。
私はお商売を通して人と交流することが、心底好きなんやな、と。
そして、いい商品といい経営者を紹介するのが好き。
ワンコのごはんを作っている松田さん。
あの方の思いに感動したから、伝えたい。
オリジナルの下着を作っている方の、あの頑張りを応援したい。
ごまを販売されている深堀さんに至っては、もう深堀さんご本人が好きすぎて、深堀さんを知ってほしいからごまを買いに行くという順番になっています。
商品より先に人が来ている。
何かを紹介するとき、私はいつも「人」を介している。
自分の好みや傾向って、話してみて初めてくっきり見えるものなんですね。
声は、熱量まで運んでくれる
声って、温度が乗りますよね。
文章だと淡々としてしまうことも、声だと「これがめっちゃ好きで」のトーンがそのまま伝わる。
思いが入る。人間らしさが、加工されずに届く。
そして自分で聞き直すと、「私、こういうところが好きなんやな」と客観視できる。
発信のつもりで始めたことが、いつのまにか自己理解のツールにもなっていました。
経営者には、この「毎日ちょっとだけ言語化する習慣」はおすすめしたいです。
特別な設備も、完璧な戦略も要りません。私も戦略的かどうかは、いまだにあやしいままですし。
必要なのは、しゃべってみることと、それを続ける小さな理由だけ。



